As the Cock Crows at the First Hint of Dawn

すりつぶされたりしないように頑張る

知的好奇心と効率

 工学部は、エンジニアを育成する部門です。特に機械分野では、基本となる4つの力学(材料力学、機械力学、流体力学、工業熱力学)がございまして、機械系エンジニア・研究者となる人々にとって、これらを習得することは必須であると言われています。というのも、これらは、一意に連続体という1つの力学的観点から見ることができ、また、相互に関連があるからです。例えば、ある機械を作成する場合、機械の支えとなる部分には、材料の構造的強度(材料力学)を、機械の仕事を行う部分には、作用する力と運動の機能(機械力学)を、仕事をする部分が熱的であるか、流体的であるかというように作用しあって1つの機械となるのです。(今では、ソフトが占める割合は大きく、ここに制御工学や電気回路、情報制御等が含まれる。)

 しかし昨今では、一般の企業で扱われるまたは、必要とされている学問はより専門的となり、学部だけで網羅することはとても難しくなっています。そのため、機械工学科となると最低で修士を取ることが推奨されている現状です。一方で、一部の大学では、2~3年時にコース分けを行い、3,4年時でその専門分野だけを勉強するカリキュラムを設けていることがあります(旧帝大など)。しかしながら、前述のとおり、他の分野に関して疎かになることが予想されます。

 では、自分で勉強すればよい。そのような考えが浮かぶでしょう。確かにその通りで、会社に入ったら、専門分野(大学で習ったもの)とは異なる分野で仕事をすることも多くあり、そういった場合、独学が基本となります。自分で課題を発見して問題を解決するために、参考となり得る文献を参照し、応用することが日常となるでしょう。

 こういった場合、効率が悪いのは、自明であります。問題がより専門的になればなるほど、その体系は崩れ、部分ごとに成り立っているものとなります。また、そうした場合、大事な部分や必要となる情報は少なく、隠れていることが多いです。そして、体系的でないため、理解に苦しむことが多々あると考えられます。

 独学は、効率が悪い。他者や先輩、より詳しい方に仰ぐことで効率を大幅に上げられることも自明です。

 と、話が脱線しました。私の話に戻ります。

 そんな中、大学の講義を満遍なく、過不足なく、必要な単位だけ取って卒業することは、将来エンジニアとして、良くない事であると、ある教授が言ってました。これについて私も同意見であります。学部で開講されている専門科目は、機械系学生が最低限持つべき知識であり、それは「知識は調べれば良い論」によって淘汰されないものであると確信しています。

 ですから、私は卒業単位を満たしていながら、専門科目を多めに履修しました。これは、私の知的好奇心から来た知識欲で、何人たりとも侵されはならないと思っています。この果敢な成熟期に、知的好奇心を満たすことはとても重要で、尊ばれるものです。

 

研究室の先輩方「なんでそんなに取ってるの?俺らの時は、専門1個だけだったけど」

 

※専門1個は、その研究室に関係ある学問だけ。私の場合専門4つ取っている。

 

 その時、私の知的好奇心が、研究室の先輩方から侵害されたのです。逆に聞きたかったのは、お前ら知的好奇心を持ち合わせてはいないのかと。

 その場では、授業料分の…とごまかしましたが、とても衝撃的でした。しかし、改めて考えると、複数の専門を取るより、1つに絞った方が伸びが早く、効率的です。ここで、知的好奇心と効率が対立するのです。

 私の場合、知的好奇心があるほうと自負していますが、同時に飽きっぽい性格でもあります。そのため、何かに興味を持つけど、すぐに新しいものに興味が移り、結果的に中途半端になることが多いです。熱中と知的好奇心が上手く相互作用して1つのことに集中できれば良いですが、強すぎる知的好奇心は目移りで身を滅ぼします。これは効率が悪く、やはり1つに集中できた方が良いでしょう。

 そう考えると、研究室の先輩方の言ったことも少しは納得できます。

 

次に、先輩方と教授の論はこうでした。

「講義はつまらないし、何より、習ったことが多くあって取らなくてもいい」

 

この瞬間、私は絶望しました。この人たちは、一体何を見ているのだろうと。

好奇心が完全に1つに絞られているんだなと感じました。研究に関することだけ、講義はつまらないから、出なくてもいい。実際に、そんな1つの分野だけ抜きんでていて、他のことはからっきしという学者もいるにはいます。しかし、私たちは、工学部です。エンジニアです。世間のことに興味を持ち、幅広い知識が、機械分野を促進していくのではないでしょうか。1つの分野だけで成り立っているものはありません。何かしら別の事柄から考えを得て応用しているはずです。1つの分野だけで生きていけるとは、私は到底思えません。

 先輩方は、研究熱心です。論文も多く読んでいます。学会にも多く出ています。そんな彼らに、私の好奇心を踏みにじられたことがとても残念な気持ちです。彼らは、そこまでの次元でしか生きられないのでしょうと、勝手に位付けしました。先輩方が上位に上ることを願っています。

 

またまた、こうも言いました。

「哲学とか意味わからんから、嫌い」

理解もしようとしようとしていないのに、懐疑論すら持ち出しもせず、哲学を拒絶するエンジニアをそこに見ました。私も、哲学は初心者ですが、あらゆる学問の根底にある哲学を一意に否定することは、学問を学び考えるものとして、また今を生き社会を考えるうえで、とても大切な思考手段を放棄していることと同等であると思います。

 

 いろいろ話しましたが、兎にも角にも、広い知的好奇心が過ぎることは非効率であります。しかし、知的好奇心を否定すことは、人類の発展を否定することです。

 私は、私の知的好奇心を他人にいらない事だと言われることがあってはならない。そして、配属早々、研究室の先輩方とは、馬が合わないのではなかろうかと、予感している今日でした。

 

講義で、弁証法を学ぶことはとても意義があることだと思うし、また他の科目についても、普段ならきずかないようなことを学べるので、そこに発展が広がりができるので、単位が十分だからといって、他の授業を取らないことは、とてももったいないことだと感じました。

まぁ、人それぞれの人生設計があるので、他人をとやかく言うつもりはないつもりです。